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2015年 03月 11日

蕾む

 3月に入る少し前に、一気に空気が緩むのがはっきりと分かった。春が来たのだ。
 そう深く実感出来たのも、昨年末から準備していたイベントが先日無事に終わっ
たから。新しい季節の瑞々しい気配が、力の抜けた身体中の毛穴からすっと流れ
込んできたようだった。

 本屋を始めてから、なんだか知らないうちにイベントの企画から運営までを行う
ようになって数年。探り探りやっていたのが、回を重ねればそれなりに自分の
出来ること、出来ないことが分かってくる。そうすると今度はそれをどうにかしよう
などとは思わずに周りに委ねるようになった。がそこに行くまでにはいくつかの
ハードルを超え、失敗も重ねなんとか今に至っているのが正直なところだ。

「蕾(つぼ)む」という言葉がある。花が開く前の姿を蕾と言うが、その動詞が「蕾む」。
先のイベントの最中この言葉が頭の中に浮かんでは消えていた。というのもちょうど
それに前後して、自宅の庭の隅に植えられたバラの枝が蕾をつけた。存在すら知らず、
恥ずかしいほど世話はまったくしていなかったのだけれど、気付くと大粒の、
形の整った蕾が五つ。どんなに忙しくてもぱっとそれが目に入ると、大丈夫、という
気になった。堅く閉じられたもの、開く前から主役の雰囲気があるもの、小指より
小さいもの、先が少し開いたもの、大ぶりで重みがありそうなもの。お店の仕事や
イベントを控えハードな日々を送りながら、それらが少しずつ開いていくのを見ていた。

 あるときからその蕾が、これまで一緒にイベントに関わってくれた友人、知人達
のように思えてきた。彼らと仕事をしていると能力にはいろんな形があるなあと
つくづく思う。中でも気になるのは、まだ「蕾」にもなっていない前の段階。
蕾む途中にあるもの。蕾が花開けば、それを才能と呼べるかもしれないが
そこにすら達していない、その人の得意なことや他の人より上手に出来る小さな能力。
まさに蕾んでいる過程を目の当たりにしていた。もしかしたらそれがいつか蕾になって
花を咲かせるかもしれない、そんな楽しみも抱くようになった。

 一方で開かずに終わっていくのもある。蕾のまま綺麗ならそれもOK。ただ
確かなことは、そんな蕾がこの地の至るところに散らばって「在る」ということだ。
(沖縄タイムス 唐獅子2015.3.10掲載)
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by suikimama | 2015-03-11 10:25 | 唐獅子コラム | Comments(0)


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