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2015年 05月 06日

オープンエンド。

 時は夕暮れ。等間隔のベンチに腰を下ろし海を望む老若男女。その前に敷かれた遊歩道を人々が思い思いに歩く。わずかに薄い雲が浮かぶ空と左手には背の高い木々。弱い陽が射しこみ影が落ちている。すぐ脇には飲み物を片手に芝生に立つ3人連れ。店内にはこの一日の終わりの情景を写し取った写真が、開店以来ずっと貼られている。初めてショップカードを作るときに選んだ一枚だ。

 シンガーの矢野顕子さんが何かで「フィール・グッド・ムービー」がお好きだと話していた。フィール・グッド・ムービー。その響きだけでもう何だかいい気分になってくる。彼女が言うには、見終わったあと気持ちが良くて、何度も見てしまう映画のことだそうで、それならフィール・グッド・ノベルなんていうのもたくさんあるなあと、いい作品に出合っては「これはフィール・グッドだな」と勝手に分類して楽しむようになった。

 ではその条件は何だろう?私なりのフィール・グッドを考えたときすぐに先のシアトルで撮った写真が思い浮かんだ。県内のビーチだと言っても通りそうな日常の一コマ。ものすごく大変な一日を過ごした人、人生を変えるようなドラマチックな事があった人や代わり映えのしない退屈な一日だった人にも、等しく優しい夕暮れが訪れる。今日もいろいろあったけれど、とにかくこの写真のようにまた変わらず夜が来て、明日が来ると思わせてくれる「何か」がある作品は読後感が良くてやはり何度も読み返す。開かれている、とでも言おうか。

 文学でも「オープンエンド」といって結末が決まっておらず、答えがいくつもあることを指す形式が短編小説に採用されることが多い。読み手次第で物語の結末はいくらでも変更可能。終わりがはっきりしないので苦手だと言う方もいるが、どちらかというと私はこの開かれて自由な感じが好きで、これがフィール・グッドの条件と言えるかもしれない。

 どの時点で終わりとするのか。もしこれを始まりとするなら人はそれを「希望」と呼ぶ。決まりきったハッピーエンドよりも、悲しみや苦しみも込みの開かれたラストの方が滋味深い。そもそも人生こそがオープンエンドなものなのだから。
(沖縄タイムス 「唐獅子」2015.5.5掲載)

by suikimama | 2015-05-06 13:47 | 唐獅子コラム


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