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2015年 03月 02日

あとがき

 どういう訳でそうしていたのか今では思い出せない。というのは新しい本を買うと、
まず本文より先にページの終わりの方から読み始めていた時期があった。
何故かあとがきや解説を読んでから本編を読むことに悦に入っていたが、
最近は元に戻って素直な小学生のように、順にページを捲っている。

 武田百合子さんの名紀行エッセイ『犬が星見た ロシア旅行』を読み終えたとき
そのことを思い出した。哀しいかな、時々作品そのものより、あとがきや他者が
寄せた解説を面白く読む事があるが、今まで読んだ中でもこの『犬が星見た』の
あとがきは別格で、私の中でその不動の地位はたぶんこれからも変わらない。

 「これ、先週の」と今日もいつものようにYさんから、書評の切抜きが入った紙袋を
渡された。Yさんは白髪の最年長の常連さんで、今ではお店のちょっとしたご意見番の
ような存在。よく文学作品や作家についてお話をすることがあり
(こちらは聞いていることの方が多いけれど)、このあとがきも話題によく出てくる。
私より遥かに読書歴が長いYさんはよくこの作家の文才は天性のものだねと言う。
「はあ、そうなんですか」と気の抜けた返事しか私は出来ないが、武田作品を
読んでいると言わんとしていることは伝わってくる。

 この紀行エッセイは作家の夫・武田泰淳そしてその友人らと晩年ロシアに
旅したときの日記がまとめられたもので、この中に出て来る人々の多くは
この世を去っている。旅先で彼女が見聞きした出来事が自由奔放に綴られていて、
読者の旅心を刺激する。この旅で出会った登場人物たちの描写もまた魅力的で、
旅も終盤に近づくに連れこちらまで一抹の寂しさを覚えた。

 あとがきではその旅が終わって、
「もしかしたら星など見えはしないのかもしれないが、そうとしか思えない
格好をしている犬を見かける」
と広い道のまんなかで無防備に夜空を見上げる犬に、遠い国で好奇心の赴くままに
旅をした著者自身をなぞらえている。
「私だけ、いつ、どこで途中下車したのだろう」という最後の文章。ひとつの旅の終わりが
彼、彼女たちの人生の終わりをも示唆し、読む人に深い余韻を残す。

 ただ現実の人生には「あとがき」はなく、「今」しかないなと思いながら
最後のページを閉じた。
(沖縄タイムス2015.2.24「唐獅子」)

by suikimama | 2015-03-02 16:27 | 唐獅子コラム


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