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2015年 05月 20日

小説が始まる所。

 物事の大半はほとんど、と言っていいほど計画通りにはいかない。かと思えば、行き当たりばったりに進んでみたら、緻密に考え抜かれた理想的な絵のようなものがいつのまにか浮かび上がっていることもある。だから計画しない方がいいとも簡単には言えず、それは「そのまま」でということに尽きるのかもしれない。

 自営業をやっていると「読まない」といけない。本1冊入れるにしても、企画を考えるにしても、お客さまとのやりとりにおいても、これが求められているのか、どんな反応があるのか、受け入れられるのか、伝えたいことが伝わるのか。これらを「読む」ことは本当に難しい。どれだけ想定したとしても、予想外のことはいくらでも起こりえるし、人の数だけそれはもうたくさんの答え(反応)がある。だとすれば、せめてできることはその時の自分にとっての当然を選ぶしかないんじゃないだろうか。

 古今東西の多くの小説もまた予想外の出来事を起点として、それに直面した登場人物たちの心の動きやそこから引き起こされる悲喜こもごもを描いてきた。かの偉大なドストエフスキーや夏目漱石だってそうだし、現代の作家もそれは変わらないだろう。

 読者である私たちが小説を読むのも、それが面白いからだ。「どうにもならないこと」が小説になる。ある事件が起きる。主人公が動く。それが滑稽に見えるときもあれば、涙を誘うときもある。愛情が真逆の意味合いで取られることや、美しい誤解なんていうのもある。私ならどうするだろうと重ね合わせて読む。「当然」は他の人にとって必ずしも当然ではない、ということに大人になると嫌でも気付かざるを得ない。そうなってくるとあれこれと考えた結果、やっぱり何もしない、に落ち着くことも私自身多い。

 でも、と思う。身体がどうしてもそう動いてしまう、という場合は「そのまま」それに従ってもいいはずだと。現状維持ではない方の、流れに沿った「そのまま」。まだ理屈が追い付いていないだけで、なんだかこっちに行った方がいい気がする。それは勇気のいることで、自信はいつだってないけれど。これまで出会ってきた小説の登場人物たちが、そう私に教えてくれた。

(沖縄タイムス 「唐獅子」コラム 2015.5.19掲載)

by suikimama | 2015-05-20 18:00 | 唐獅子コラム


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